近代科学の誕生

ヨーロッパ近代史 君塚直隆 第三章近代科学の誕生

ガリレオ・ガリレイ1563~1642

アウクスブルク宗教平和令によってプロテスタントカトリックの間でひとまずの和平策は設けられたものの、絶対的な教皇の支配・権威が弱まったことにより、この両者間に戦争は起こる。再び一つに統一したい教皇の野望、双方のイデオロギーの違いにより戦争は16世紀後半~17世紀まで様々な規模で継続的に見られた。「軍事革命」時代において、聖書教義と科学は互いに影響を及ぼしながらも独立した関係性がみえた。具体的には挙げられないのでもっと勉強する。

哲学が学問の中心でアリストテレスの言ったことが絶対!という風潮があった。またラテン語もそうだが、このどちらも現在では他のものに取って代わられて重要性が落ちたように思う。学問(哲学→科学)、公用語ラテン語→英語)。

昔のものを尊び絶対視して現代で観察に基づく発見がその昔の思想と反していた、ということが起こったのがガリレオだろう。ひとつにはアリストテレスという権威、ふたつ目はアリストテレスの言っていることがすごく納得できるけど(根拠はない)、三つ目には内容に正確なものと間違ったものが混在していたこと。以上よりガリレオ問題が起きた。

わたしが小学生の頃からよく「教科書に書いてあることを疑え」とあらゆる先生が言ってきた。おそらくは、アリストテレス問題による教訓を次世代に残すために行っているのだろう。ここに来て腑に落ちた。今はそういう時代だったのか。