痛い目に合う

 わたしの欠点は提出の締切日を忘れてしまうことや、提出課題のアップロードした画像がぼやけて見えないなどの不手際であることが多い。今までは、内容至上主義のため、いや、学問に対する理解を正当に評価してくれ、そんなところで減点すんなと思っていた。これらで減点されるのに疲れてしまった。もったいなすぎる。

 スケジュール管理で損する事が多いので、これを過小評価していた態度を改めて、内容が正確に伝わる”側”のほうを丁寧にしていきたい。

 手帳をめんどくさがると頭では意識していてもふとした瞬間忘れて、気づいたときにはもう遅いというパターンがあって、それがかなりもったいないことがあった。振込日を忘れてセミナーに出席できなくなりそうになる事態など。

 過小評価している割には、これらのことは成績に直結し、ひいては、留年・落第につながる恐ろしいことなのである。生死にかかわる重要なスケジュール管理をおろそかにしちゃうあたりわたしは相当なアホのようだ。しかもやっとセミナーの件を通して本当にイタイ目にあって気づけたので良かった。

 遅れた分だけパフォーマンスを上げて取り返そうというマインドが通用しない場合もある。ここで損するのはもったいないから。

狂気の科学

狂気の科学 真面目な科学者たちの奇態な実験

レトU.シュナイダー著 石浦章一・宮下悦子訳 東京化学同人

自分流の要約

普通はやらないような実験を思いつきまたは偶然によって行った結果、思いもよらない示唆に富んだことが分かるようになった。科学者は真面目にやっているから、変な実験ある?って聞かれてもわからないが、彼らのやってる事自体が変なのだということがわかったらしい著者。

1600年 伊パドア出身 医師 サンクトリウス約30年間天秤上で過ごした。あらゆる家具を天秤化して、摂取排泄による体重変化を測定して「医学静力学について」出版。人間の排泄する量は、接種した量の一部分に過ぎない法則を見出す。→汗の存在を示唆

1620年 フランドルの学者 ファン・ヘルモント 予めに柳と鉢の重さを測定した結果と、5年植栽した後の重さを測定した結果を比較した人物。アリストテレス四元素説を疑問視し、聖書の創世記の初めから存在した水こそが元素の本質である考えを念頭にこの実験を行った。以前に思考実験で同様のことを行った人はいたが、実際に測定した人はいなかったと言われている。定量的に植物が成長するには水が必要であることを示した。やがて、水以外にも光、空気、無機物も必要であり光合成のことが分かるようになる。その先駆けの実験となった。

💡アリストテレスは思考実験を重要視して、観察による科学実験を軽視した。現代では、アンチアリストテレスの風潮があるが「思考実験」自体はいいことだから、今まで全然やってこなかったけどやっていこうと思う。ガリレオアインシュタインは思考実験によって成果を経たから、やって見る価値は多いにある。

1792年 仏天文学者 ド・メラン オジギソウは葉を夜閉昼開する。暗箱に入れてもこの性質は継続したことから内部時計の存在を突き止めた。しかし彼の友人は、王立科学アカデミー宛の論文で「太陽の存在を見ずに感じ取れる」と間違った結論をした。彼自身は取るに足りない研究結果だと思って発表しなかった。

1772年代 国王お抱えの歌手でカストラート(少年期の声をおとなになっても保つために去勢した男性歌手)ライデン瓶という電荷を蓄えられる装置が発明されるとパリで一列に並んで手を繋いだ人たちを感電させて驚かすのが流行した。その中である噂、パリの学校で60人感電させるはずが、6人目で止まってしまう現象がおきて、その男性は股間を所持していないと疑われている人だったために「造物主に呪われた人は、感電できない」噂が生まれた。これを確かめるべく、上の人物を使って宮殿で実験したが関係なかった。その人が立っている場所が電気伝導率に関係していた。たとえば、地面が湿っていると、足から大量の電気が地面に流れてアースされる。

1825年 瀉血(病気治療のため血液の一定量を除くこと血抜き)軍医ウィリアム・ボーモンド 兵士の胃に穴が空いたが奇跡的に生き残り86歳で死んだ。彼を利用して胃液の性質を調査した。消化は生命力による神秘的なものではなく、化学反応であることを示した。モルモット扱いして大金を払い好き放題したが逃げられたり戻ったりをした。

近代科学の誕生

ヨーロッパ近代史 君塚直隆 第三章近代科学の誕生

ガリレオ・ガリレイ1563~1642

アウクスブルク宗教平和令によってプロテスタントカトリックの間でひとまずの和平策は設けられたものの、絶対的な教皇の支配・権威が弱まったことにより、この両者間に戦争は起こる。再び一つに統一したい教皇の野望、双方のイデオロギーの違いにより戦争は16世紀後半~17世紀まで様々な規模で継続的に見られた。「軍事革命」時代において、聖書教義と科学は互いに影響を及ぼしながらも独立した関係性がみえた。具体的には挙げられないのでもっと勉強する。

哲学が学問の中心でアリストテレスの言ったことが絶対!という風潮があった。またラテン語もそうだが、このどちらも現在では他のものに取って代わられて重要性が落ちたように思う。学問(哲学→科学)、公用語ラテン語→英語)。

昔のものを尊び絶対視して現代で観察に基づく発見がその昔の思想と反していた、ということが起こったのがガリレオだろう。ひとつにはアリストテレスという権威、ふたつ目はアリストテレスの言っていることがすごく納得できるけど(根拠はない)、三つ目には内容に正確なものと間違ったものが混在していたこと。以上よりガリレオ問題が起きた。

わたしが小学生の頃からよく「教科書に書いてあることを疑え」とあらゆる先生が言ってきた。おそらくは、アリストテレス問題による教訓を次世代に残すために行っているのだろう。ここに来て腑に落ちた。今はそういう時代だったのか。

ルター等の宗教改革が及ぼした影響

「ヨーロッパ近代史」 君塚直隆著 ちくま新書

第二章宗教改革の衝撃を読んだ感想

※読書日記としてざっと書いたため正確ではない記述がありそうです。それでも良ければお読みください。

ルターはキリスト教会のシステム(教会、公議会)の腐敗を指摘した。95カ条の提題。このアンチテーゼとして教皇は「破門」するぞと脅迫したが、ルター派の働きは全国的に広がり、ついに破門したが、ルター派ザクセン公に守られた。

ルター(教義の内容)⇔教皇(権力への不服従

の対抗勢力が見えるのに対して

ルターは教義を一般化させようと印刷技術を駆使してドイツ語として聖書を普及させた。教会の独占状態を開放させ一般化させた。万人祭司説の考え方の副作用で、権力の分散という考え方につながった。これによって、現状に不満を持った勢力がルターの真の目的とはずれたところで行動した。たとえば、1/10の作物を税金として納めることに反発した農民や役職を増やしたい騎士の反乱など。輩(やから)などが便乗することをわかっていながら神は全体の動きを許容したのか、教会システム腐敗を是正するために。

風が吹けば桶屋が儲かる」理論が成立している。ルターの教義の内容に対する抗議から派生して、教皇側は権力への不服従と認識した。ここには論題に対する齟齬が見られる。そして教皇側の不服従に呼応するかのように、各人が集団を形成して不服従思想に共鳴して反乱を起こすようになった。混乱の状況下、ルターvs教皇vsその周辺人の不満の教義・権力問題とは全く無関係であるわたくしごとの理由(離婚など)で隙きを見てそそくさと行動したイングランドの国教会などがあった。ほかにもオスマン帝国とフランソワの同盟関係など、ひとつの出来事が波紋のように次から次へと新しい連鎖を生み出した。「バタフライ効果」もみられる。主命題からずれた別命題が影響力をもつようになって世界に作用したことがわかった。

 

改訂 2022/9/13

1517年の95カ条の提題から始まった一連の事態は、1555年のアウクスブルク宗教平和令によってひとまずは収束した。現在では「宗教改革」と言われるこの出来事は、ヨーロッパに何をもたらしたのだろうか。それは、主体性ではないだろうか。一般民衆はラテン語の素養がないため、聖書の内容を祭司を通してのみ知り得た。しかし、聖書を直接読めることになったおかげで、神と自分自身の関係性ができた。

諸侯はカトリックプロテスタントのどちらかを自分に選べ、家臣は自分の信仰宗派へ移住する権利が付与された。キリスト教が絶対的にひとつだった時代が終えたのは大きな意味を持つ。やがて、キリスト教以外にも、さまざまな選択肢が現れ相対化されるに至る先駆けとして捉えられる。

意識高い大学生

 ビジネス本やオンラインサロンで知識をインプットする意識高い大学生について取り上げてみよう。彼らは人生をどのように生きていけばわからずにその著者やサロン主催者の知識を頼りにしている状態である。迷える羊の群れと例えることができよう。

 しかし、著者やサロン主催者は自分自身の富やできることを増やしたいだけなのではないか。彼らが何を言っているかよりも、どのような人なのか実は何も知らない。

 ちょっと調べてみるか。

新しく蓄えた知識

昆虫の宇宙食としてのポテンシャル

蝉の羽化はじめは美味しく食べられる

ディスカバリーチャンネルエドは40日から60日のサバイバル生活をした後、精神科医に検診に行ったほど、孤独は人を蝕むものかもしれない。