勉強した自分へのご褒美を神様にお願いする件

 勉強に集中できない悩みを未だに抱えている。しかし解決の糸口はつかんだ。自分自身にご褒美を与えればいいのだ。私は自分自身にご褒美を与えるというやり方を毛嫌いしていた。なぜならば、このやり方はチャレンジしている過程ことを楽しむことよりも意識がご褒美に削がれて、不健全な方法だと思っていたからだ。しかし、私自身今はトイックの勉強にいちミリもやる気が生じない。親のお金で受けさせてもらえるもので、このままだと親お金を無駄にしてしまうこと、前回のトイックでは775点も取れたのだから英語は得意だし頑張ろうという考え方、これら全部を理解した上でやる気が生じないから困ったものである。やる気のない興味のないものに対してなら、ご褒美作戦はいいのではないかと思う。結局は始めれさえすればいいのだ。きっかけをなんだっていいのだ。それに、やっているうちにモチベは生じ、過程に面白さなど勝手に発見していくのだろう。

 ご褒美についてだが、自分が自分に与えるタイプのご褒美は私の場合はあまり有効的ではない。なぜならば、私はたとえ勉強をしなくても、好きなお菓子や娯楽などを摂取してしまうからである。やっぱり、他人からのプレゼントだったりが一番効く。しかし、親からねだるのは流石にちょっと違う。だから、私はみつけた。神様にご褒美をおねだりすればいいではないかと。何を与えられるんだろうか。正直そもそも与えてくれるのだろうか。でも、ヨハネの手紙には神に求めるものは疑ってはいけないとかなんとか書いてあった気がする。疑わずに信じて見ようと思う。